8/30 「わたしらしく生きよう」 三浦 遙牧師 聖句:1コリ12:27-13:13
本日の箇所はコリントの信徒への手紙一12章27節から13章13節。13章は「愛の賛歌」として名高い箇所ですが、独立した詩ではなく、12章からの流れの只中に置かれています。コリントは二つの港を持ち、様々な民族や身分の人が入り混じる、賑やかで格差の激しい町でした。教会もその町を映して多様であり、それゆえもめごとも絶えません。とりわけ異言を語る力を持つ人が自分は上等な信仰者だと誇り、教会の中に上と下ができてしまっていました。
その只中でパウロは「体」の譬えを持ち出します。これは当時よく知られた寓話で、本来は「身分の低い者は上の者に従い、自分の場所で大人しくしていなさい」と秩序を守らせるための話でした。ところがパウロは同じ譬えで逆を語ります。「弱く見える部分が、かえって必要なのです」。当時の常識を内側からひっくり返しているのです。28節では順番を付けるようでいて、29節30節で「皆が使徒であろうか」と畳みかけ、自らその序列を崩します。皆が同じである必要はない、違いこそが恵みなのだと。
けれども話はそこで終わりません。賜物は恵みですが、それだけでは足りない、愛がなければ無に等しいとまで言い切るのです。ここでの愛はアガペー。その説明の最初に置かれた「愛は忍耐強い」は「寛容」とも訳され、もともと感情的になるまでに長い時間をかけるさまを表すのだそうです。聖書の言う愛は、案外とても静かなものなのだと思わされます。違いがあるとは、ぶつかりやすいということ。だからこそ受け入れ合う愛が要ります。
本日は『これもさんびか』0509番「主につくられたわたし」を歌いました。「らしさ」を押しつけられた一人一人が、わたしはわたし、神さまがこのように造ったのだと宣言できるようにと願って作られた歌です。この愛は自分から絞り出すものではありません。誰も近づかなかった人に近づき、数に入れてもらえなかった人を数に入れ、イエスが生涯をかけて示し続けてくださった愛です。神様は長い時間をかけて、静かに、絶えることなく、その愛を伝え続けてくださっています。
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