7/12 「人間に光あれ」 三浦 遙牧師  聖句:1テモ3:14-16

 本日7月の第二主日は、日本基督教団が「部落解放祈りの日」と定める日です。今から50年ほど前、教団はある差別発言の出来事をきっかけに、部落差別と正面から向き合うことを決めました。それは外の問題を裁くためではなく、教会自身の中にある差別の心を認め、悔い改めるところから始まった歩みでした。差別は過ぎ去った昔話ではなく、今もかたちを変えて、この社会にも教会の中にも残り続けています。

 本日のテモテへの手紙一3章は、パウロが若き弟子テモテに宛てた手紙です。テモテは、ユダヤ人の母と異邦人の父の「間」に生まれ、どちらの側からも半端な者とされる痛みを知る人でした。パウロはそのテモテを「信仰による真実の子」と呼んで深く愛し、揺れる教会を託していきます。パウロが伝えたかったのは「神の家でどのように生活すべきか」でした。「神の家とは、真理の柱であり土台である、生ける神の教会です」(15節)。

 教会とは、立派な建物でも整った組織でもありません。この社会のただ中で真理を立てて生きる、人々の交わりです。では「真理を立てる」とは何か。それは、差別と分断のただ中で、「向こう側」とされ線を引かれてきた人々の隣に、立ち続けることではないでしょうか。続く16節の賛歌が「異邦人の間で宣べ伝えられ」と歌うように、福音はあらゆる線引きを越え、神と人との隔たりをも越えて広がっていきました。1

 922年、被差別部落の人々自身が全国水平社を結成し、日本で最初の人権宣言「水平者宣言」を掲げました。その結びの言葉「人間に光あれ」の「人間」は「じんかん」、人と人との「間」とも読めるそうです。隔たりではなく、人と人との間に光がありますように。この願いは、聖書が指し示してきたものと深く響き合います。本日から鳳教会は、教会のみんなで「信仰告白」を紡ぐ歩みを始めます。「教会とは何か」「神とはどんな神か」を、これまでの歩みと、一人ひとりの信仰と、何より聖書とイエスの言葉から、共に問い直してまいりましょう。隔たりではなく光を。人と人との間に、光がありますように。