5/3 「ひとりの小さな手」 三浦 遙牧師  聖句:ヨハネ15:1-11

本日の箇所は、キリスト教会の中でもよく用いられる有名な箇所です。特に「わたしはぶどうの木、あなた方はその枝である」という言葉は、多くのキリスト者のお気に入りの聖句かもしれません。ブドウの木はツル性の低木で、支えなしには育ちません。子どもの頃に力強い木をイメージしていたのに、ヒョロヒョロとしたツルが支柱に絡まっているのを見て衝撃を受けたという話が印象的でした。ブドウは挿し木によって増やされてきたといい、神から切り離され地上に埋められたイエスの姿とも重なります。

 よく読むと「実を結ばない枝は取り除かれ、火に投げ入れられる」という厳しい言葉も含まれています。ヨハネ福音書が書かれた時代、迫害が厳しくなる中で信仰を失いかけた人々、教会を離れた人々が多くいました。イエスと直接出会えない世代が増える中、「目に見えずともキリストに繋がっているのだ」と励ますために、この言葉は語られたのです。

 そのことを思う時、「一人の小さな手」という歌が心に浮かびます。1960年代のアメリカで生まれ、本田路津子さんの訳詞により日本で広まり、讃美歌集にも収められた歌です。一人の小さな手では何もできないけれど、みんなの手と合わさる時に強くなれると歌われ、讃美歌集版には枝々は違えど主のからだとしてひとつに結ばれ強く生きるという詞も加えられています。今回のブドウの木の譬えと響き合う言葉ではないでしょうか。

 今のわたし達も、その時代の人々から続くキリストに連なる者です。一人ひとりの手は小さく、何も言えないと感じる時もあります。しかし、キリストによって示された恵みが先達者たちという枝を通って今のわたし達に流れ込んでいます。その小さな手が皆の手と重ね合わされる時、いつか何かしらの実となって主の業に応えることができると、今だからこそ強く願うのです。不安なニュースや悲しい知らせが舞い込む今この時だからこそ、自分に連なる愛ある交わりと恵みに目を向け、感謝をもってこの苦しい時を共に歩んでいきたいと思います。