3/1 「規範」 三浦 遙牧師  聖句:マルコ3:20-35

 イエスの宣教の中で、イエスのことをよく思わない人々が多く登場します。代表的なのは当時の宗教的権力者であった人々です。今回の箇所でも、律法学者らはイエスの「悪霊の頭」と批判します。神の力ではなく、悪魔の力だと否定するのです。イエスに難癖をつけては、最後には言い負かされる人々ですが、彼ら以外にも、イエスの身内の人々もイエスに対して批判的であったことが今回の箇所からもわかります。

 イエスの語る言葉は当時の社会規範、宗教規範的にも逸脱したものでした。病を癒し、当時の権力者を否定し、忌み嫌われた罪人達と寝食を共にする。権力者達はもちろん、身内にとってもやめて欲しいと思うことだったのでしょう。しかしイエスは「悪霊同士で敵対はしない」。そしてイエスを否定することは神の国、神様自身を拒絶することであるとはっきり示すのでした。また家族についても、「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟姉妹、そして母なのだ」と実の家族を前にして告げていました。

 こういったイエスの姿を見るとき、私たちもそういった規範と呼ばれるものに囚われているといえるかもしれません。多くの人がいて、それぞれが当たり前に違っているのに、なぜか「こうあるべき」という別の当たり前、規範に溢れている。しかし、私たちは聖書の物語を通して、それらの規範や当たり前を大きく超えて示される神様の愛や想いを示されています。私たちがいかに狭い視野で見ていたかを思い知らされるような、広く深い世界を示してくださるのです。受難節に入りました。この物語も、私たちの常識からすれば、あまりにも不可解で、常軌を逸するものですが、まさにその常軌を超えて示されるものがあることも思い起こしていきたいものです。そして、私たちが願うことも、想像以上の形で神様は聞き入れ、叶えてくださる。そんなことを希望に、新しい1週間、残りわずかとなった2025年度の歩みを共に歩んでいきたいと願います。

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