1/25 「戸口に立って」 三浦 遙 牧師 聖句:マルコ1:21-34
4人の漁師を弟子にしたイエスは、カファルナウムという町で宣教を始めました。当時は町の会堂に集まり、それぞれが自由に聖書の教えを語ることができました。もちろん、律法学者や祭司たちもその場に集まり、素人の言葉にやっかみをいうこともあったのだろうと想像できます。しかし、イエスの言葉は、「権威ある者」の教えだと、周囲の人々を驚かせます。その時、悪霊に取り憑かれた人がイエスに向かって「滅さないでくれ、神の聖者よ」と叫び、イエスがその霊を追い出す出来事が起こりました。その後イエスは弟子のシモンの親族の病を癒やされるのでした。
初めての宣教で、「教え」も「奇跡」も出し惜しみせず行うという、周囲の人々からすれば、ここまで異常なことが起こるというのも、マルコ福音書の特徴かもしれません。注目したいのは、そんな目立つイエスの様子を見た周囲の反応の違いです。当然ながら人々は救い主としてこられたイエスをまだ正しく理解できていませんが、悪霊だけがイエスの「神の聖者」と理解し、対峙していくのです。それはマタイ福音書では「神の子か悪霊の頭か」と評価を二分するものでもありました。どれだけ権威ある教えを説こうとも、病を癒そうとも、結局はそれらをどのように受け止めるかというそれぞれの問題となっていくのです。
しかし、最後の箇所では、町中の人々がイエスの居た家の「戸口に集まった。」とあります。あと一歩踏み込めばイエスの示す愛のある交わりに加わることができる。それはイエスが生まれる時にマリアとヨセフを追い出した戸口でもなく、当時罪人とされた人々を立ち入らせない神殿の入り口でもありません。どんな人でも受け入れ、招き入れるように開かれたものでした。イエスや神様がそうであったように、教会も私たち自身も、世の寒さの中で震え、戸口に立つ人々を暖かく迎え入れ、共に交わりを持つような、そんな歩みが出来ますようにと心から祈ります。
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